視界にノイズが、混じりながらも


























17. そうしてひとつのアリアは


























肌を撫でる風は酷く澄み、開け放たれた病室の窓からは澄み切った空と青く、果てなく続く海が見える。

ふわりと吹いた風が室内の籠もった空気を洗い、清涼なる涼しさを運んだ。



『いいねぇ青い空、エメラルドグリーンの海ペルファヴォーレイタリアン♪』



静かな空気を掻き乱したのは通信機から聞こえる僅かなノイズが混じる声、そして神田が頬に張られたガーゼを勢い良く取った音。

彼は僅かに顔を顰めている、ガーゼを剥がした痛みのせいではなく話している相手に、だ。


「だから何だ、」


『"何だ?"ふふん♪…羨ましいんだいちくしょーめッアクマ退治の報告からもう三日!何してんのさッ!!


通信機の向こうからは相変わらず忙しない科学班の声と、コムイの泣きが入った声が聞こえるばかり。

コムイが仕事の忙しさからなのか何時も以上に疲れた雰囲気を漂わせた声で喚いていたが、神田は小さく溜息を吐く。

そして白いシーツが敷かれたベッドの上で微かに寝息を立てて寝ている少女へと視線を僅かに向けた。

惜しみなく曝け出された肩には痛々しいとも思える量の巻かれた包帯と、未だ僅かに滲み乾いてしまった血。

はアクマ退治を終え三日経った今も、一向に眼を覚ます気配がなかった。

あれ程の怪我を負い、かなりの量の血液を失い、極め付けにはレベル2のアクマを破壊したあのイノセンスの、力。

その消費した力を取り戻そうとしているのか、唯単に疲労のせいか知らないが一度も目を覚まさない。



あの時のは、本当に彼女であったのか



未だ閉じられたままの瞳に、血の気が余り良くなく元々色白かった肌は更に青白いとも思え、

窓の外から差し込む太陽の光が深い、深い藍色を宿した髪を照らし、鮮やかな色を湛え真っ白なシーツの上に広がっていた。


その光景だけを見れば、精巧に作られた人形みたいだ、とも。





「わめくなうるせーな、が起きるだろ」

『え。何キミ、君の病室に無断侵入?ちょっとリーバー君聞いた神田君が君襲おうとしてるよー!』

『はッ?もう其処まで関係行っちゃったんスか?!』

「ばッ、馬鹿か俺は何もしねぇよ!それにコムイッ、俺アイツと合わねぇ!」

『神田君は誰とも合わないじゃないの、君はどうかわからないけど。それよりアレン君は?』

「まだあの都市で人形と一緒に居る!」



僅かにから視線を逸らし腕に刺してある点滴の針を乱暴に引き抜き、アレンの事がコムイの口から出た瞬間何故か苛立ちを覚え小さく舌打ちを零す。

通信機を背負ったトマが神田のその様子に苦笑していたが、ふとの方へ視線を向けた。

今まで瞳は固く閉じられていて、声をかけても反応を示さなかったが、薄っすらと瞼を開き瞳に虚ろな光を宿したまま、数回瞬きを繰り返す。


殿!」

「……起きたのか?」


トマの声に反応し、今まで彼女の寝ているベッドの端へ腰掛けていた格好から立ち上がり、彼女の方へ視線を向けた。

は一度瞼を閉じて、少しの間を置いてから再び瞼を開ければその瞳に虚ろな光は一切無く、いつもどおりの綺麗な薄紫色の瞳を、二人に向ける。

そしてから辺りの景色を見渡すように首を僅かに動かして、小さく息を吐いて。



「……此処、病院…か?」



ぽつり、と小さく呟くような声で二人に向かい問いかけた。








『酷い怪我負ったって聞いたけど、起きて大丈夫?』

「起きれない程じゃないから。だいぶマシさ」


コムイと話ながら受話器を片手に持ち、シャツを着た後開いた手でベッドの脇に綺麗に畳んであった団服を掴み広げてみて、は思わず顔を顰める。

肩や腹の位置に値する場所は酷くボロボロに裂けていて、全体が血に染まり見るにも耐えられない程元々漆黒であった団服は更に赤黒く染まっていた。

は受話器の向こうのコムイに気付かれないように小さく溜息を吐き、其のボロボロな団服の袖に腕を通す。


『無理しちゃダメだよ、リナリーや君、それに君だけじゃなく皆心配してるんだ』

「心配しなくて良いって言った筈なんだけど…」

『それだけキミが好かれてるって証拠だよ、誇って良いんじゃないかな?』

「余り懐かれすぎるのも困るけどな」


僅かに苦笑を零しながらは団服を纏い終え、ベッドから立ち上がると一旦神田の方へ視線を向けてからそのまま窓の外へと滑らせた。

その視線が一体何を意味するのか、神田は怪訝に思いながらも彼女と同じ様にシャツを纏う。


「そろそろ俺はアレンの所行くから、神田に変わるよ」

『そうか、ゴメンね起きたばかりの時に電話変わってもらって』


コムイがそう紡いだ瞬間、一瞬だけだったがの表情が曇った。

今まで僅かながらにも笑みを湛えていた筈だというのに、その一言を聞いて急に表情を変えた事に神田は気がつく。

支度を終え彼女を待っている為にずっと眺めていたお陰で気がついただけなのかもしれなかったが。

はその表情を隠す事もせず、静かに視線を下げて小さく息を吐くのと同時に紡いだ。









「………皆俺に構い過ぎだ、」









『え、何か言ったかい?』

「何でも無いよ、」


そこで言葉を区切るとは平静を装い、神田が居る方へ身体を翻し受話器を差し出した。

彼女の様子を窺っていた神田と必然的に視線が合ってしまい一瞬息を詰まらせるが、静かに渡す。

その際に小さめの受話器であった為の指先と神田の手が触れ合ってしまうが神田は彼女の手の冷たさに驚く。


幾ら、大怪我をして血液を大量に失ったとはいえ三日間休養を取っていた筈。

なのにこれ程まで冷たい体温を持ったままだというのはありえない、と言っても過言ではない程の冷たさ。


自分を見たままの格好で止まっている神田に疑問を覚えたが、はゆっくりと視線を外し彼の脇を通り過ぎ病室から出る。

暫く室内は静寂に包まれていたが、受話器の向こう側からコムイの呼ぶ声が聞こえ僅かに胸の片隅に蟠りを残しながらも神田は受話器に耳を寄せた。








肌を撫でる空気は清涼な雰囲気を湛えとても今の心境には似合わないな、と小さく嘆息する。

はまだ僅かに霞む視線を空に向けていた格好から町並みに戻す。

海の望める此の町は綺麗だし嫌いではない、何よりも嫌う要素が無いからかもしれないが。

澄んだ空と風に乗り海から渡って来る独特の香り、そして通り過ぎる人の愛想もよく時折声をかけてくれる人が居る程。

このような落ち着いた町は嫌いじゃない、しかし風に乗り僅かに聴こえる"歌"が心の奥底に響き渡るのが辛いだけ。

マテールの亡霊は何処か自分に似ているような気がした。

人形、という点ではなく。人間と人形の間に生まれた愛でもない。

ただ歌を歌う人形の姿が、彼女を愛する人間が傍に居たというのにも関わらず淋しく思えた。



誰かが傍に居るのに、



其処が自分の何処かに似ているのではないか、と思い綺麗に聴こえる歌さえの心を痛ませる物でしかない。

小さく眼を伏せて、暫く経った後何時の間にか止まっていた歩を進め出し視線を上げれば一人の少年の姿が視界に映った。

太陽の光を受けて僅かに煌く白髪が綺麗だ、と思った。

彼は呪いを受けていると少し前に耳にしたが、どういう経緯で呪いを受けてしまったのかわからない。

それでも彼が呪いを受けているとは思えなかった、自分からすれば彼は誰かに祝福された存在である、と思う。

神を信じてるわけじゃない、誰かを崇高してるわけでもないが、何故かそう思えた。

静かにブーツの踵を鳴らしながら階段を登り、膝を抱え俯いたままの格好のアレンの傍に座れば僅かに視線を上げた彼と視線が合う。


「…、大丈夫?全治六ヶ月以上の怪我って医者の人言ってたけど」


彼もか、とは心の中で妙に燻る感情を抑えて小さく微笑とは取れないだろう笑みを浮かべる。

多分、他人から見れば苦笑にも思える笑み、を。


「君は人の心配よりも自分の事を考えろ、俺の事は良いから。それに起きれるから来たんじゃないか」

「それはにも言える事でしょ」

「耐えられない、っていう表情したアレンに言われても説得力ないよ。……止めたら、ララって子」


アレンはそう言ったの顔を驚いたような表情で眺めていたが、直ぐに暗い色を落とした表情に戻すと顔を背けた。

彼は優しいんだな。いや…優しすぎるから耐えられないんだろう。

傍で見ていたは彼から視線を外すと階段の下から神田が登ってくるのが見え、驚いて僅かに眼を見開いた。


「何やってんだお前等、」

「…あれ、全治五ヶ月の人がなんでこんな所に居るんですか?」


視線を下げたまま紡ぐアレンを一瞥し、その後の隣へ腰を下ろした神田は深い溜息を吐く。


もだろが、それに俺は治った」

「嘘でしょ」

「うるせェ、」


其処で一旦言葉を区切った神田は二人の方へ視線を向けると、淡々と言葉を紡ぎ始めた。

その間もアレンは俯いたままで、はアレンの傍で飛んでいたティムキャンピーを手に乗せ彼に構っていた。


「コムイからの伝達だ、俺はこのまま次の任務に行く。お前等は本部にイノセンスを届けろ」



「……わかりました」


暫く間が開いた後に返って来た返答はアレンの言葉のみで、からは一切何も返って来ない。

不審に思った神田は僅かにへ視線を向けたが、彼女は手に乗せたティムキャンピーを眺めるだけで固く口を結び何か、耐えているような表情をしていた。

それが泣きそうだ、とか辛いという表情でなく何か思い更けるような雰囲気を湛えた表情で声をかけようか神田は迷った。

だが、下手に声をかけたとしても彼女が何に関して考えているかわからない為続けられる言葉は、ない。

少し躊躇った後、の頭の上へ静かに右手を乗せ撫でるように、髪に手を滑らせた。

そうすれば彼女は一瞬戸惑い肩をびくりと震わせたが、されるがまま視線を伏せてティムキャンピーを手から羽ばたかせる。


「辛いなら止めてこい、あれはもう『ララ』じゃないんだろ」

「ふたりの約束なんですよ、人形を壊すのはグゾルさんじゃないとダメなんです」

「――甘いな、お前等は」


「俺達は"破壊者"だ、"救済者"じゃない」


神田の言葉に反応したアレンは、伏せがちだった視線を上げ神田の方を向き、小さく苦笑を零す。

其れは今にも泣きそうな、他人からすれば酷く辛そうな表情。

アレンはこうやって本当は出したい自分の表情を隠していくのか、とは横目で眺めていたが微かに視線を逸らし瞳を閉じた。



「……わかってますよ、でも僕は」



その時、一陣の強い風が吹いた。


其れは誰もが気がついた、終わりの合図。

風は木の葉を舞わせ彼等の髪や頬を撫で、広がる空へと消え失せた。

アレンが立ち上がりララの元へ向かうのと同時に神田が後を追い、端の方で待機していたトマも合流。

しかしだけはその場に暫く蹲ったまま、もう聴こえなくなった歌を朧気に思い出しながら口ずさんだ。








せめて、これがマテールの亡霊と 彼女に恋した人に届くよう  に










もう此の世界に来てから出ないと思っていた筈の涙と胸を締め付ける痛みが込み上がってくるようで、紛らわすために立ち上がり彼等の元へ歩んだ。

ララがグゾルを抱え歌い切った場所、アレン達が居る場所へ行けばララ達の元へ近付き膝を着いたアレンの姿が視界に入る。

は一度視線を細めてから神田達の脇を通り、アレンの後ろに佇む。

天井から差し込む光がララとグゾルを綺麗に照らし、まるで天の憂いを帯びたような美しさが其処に在った。

もう、彼等は動かないというのに、天は皮肉にも彼等を照らし続けるのか。



" ありがとう "




不意に聴こえた声が、ララの物であると気がついたのは彼女が自分達に向け微笑んでいる時だった。

その綺麗過ぎる笑みが酷く心の奥を締め付け、は再び零れ出しそうになる何かを押さえ口を噤む。


" 壊れるまで歌わせてくれて、これで約束が守れたわ "



そう言ったマテールの人形は、アレンへ向けていた笑みをの方に向け、こう紡いだ。






" あなたの歌も届いたわ。ありがとう、最後にとても綺麗な声聴かせてくれて "






「――――ッ、」




カシャン、と伝えきった彼女は其の身をアレンの腕の中へ横たわらせた。

は立ち竦んだままアレンの腕の中に居る人形から視線を逸らし、強く瞳を瞑る。




御免、俺はそんな綺麗なモノ 何も持って無いんだよ




そんな言葉はもう届かないのだろうとわかっていても、

彼女が認めてくれたとしても、自分の中で割り切ることが出来ないのだから。





は静かに瞳を開けて其の双眸を、自分達を照らす空虚な慈しみを齎す夜空へ向けた









刹那の時を生きる者達へ、せめて何か送る事が出来たなら



















                                      2006.10/22









マテール編、これにて終幕!長かったですねー…
神田とは結局余り多くは話すこと出来なかったのが悔しいですが、まぁヒロインの頭撫でさせました!
本物の彼ならんな事するかどうか、定かではないですがね(それ言ったら終わりや
何の絡みないまま、というのはもっと寂しいかと思いまして。

それでは!