僅かに開いた手の平に君を掴めたのなら、
39.優しい眠りがあと少しだけと
ぽつり、水がはじける音と同時にリナリーは意識を覚ます。
両手で抱えていた膝が最初に目に映り、ゆっくりと顔を上げてみればそこは廃墟。
月さえも朽ち果てていて、彼女は一際高くそびえた場所に座り込んでいる。
まるで世界のすべてを見渡しているような気分になって、すぐに、不安が押し寄せる。
風の音さえも鳴らないこの場所はいったいどこなんだろう。
ひし、と。強く両腕で上半身を抱いてもぬくもりは生まれない。
知っている人がいない静かな予感は、ひどく怖くて誰でもいいから傍に。
そう、願って霞始めた視界をくるりとめぐらせてみれば、ひとつ白を見つける。
水面にたゆたうそれは暫く見ていなかったようで、いつも頭の片隅で描いていた白。
なのに、彼は、動かないで、
『 いや……ッ 』
ここはどこなの、ひとりはいやなのと叫びそうになったこころが一瞬揺れた。
背後から静かにのばされた白い腕がきれいに私の震える鼓動まで、包み込んだのだ。
突然のことに寂しさに溺れていた表情が一瞬にして溶け出して、リナリーは小さく息を零す。
そのぬくもりは一度感じたことのある、遠い、けど私がいちばん案じてるあの子のものだと記憶が思い出したせい。
誰もいないと思っていた孤独感を拭ってくれたであろう彼女の姿を見たくて、そろりと振り向いた。
『 …あなた、なの ? 』
そう、彼女の名を紡いでもはただ、リナリーを抱く腕に力を込めるだけ。
誰かにすがったことがない、誰かに甘えることのない彼女がこんな行動を起こすのはどこかおかしいと。
もう一度、名を呼べば夜が。明け始めた。
嘘みたいに黒に塗りつぶされていた場所に幾重の光が降り始め、あまりのまぶしさに目を細めれば。
空からひらひらと舞い落ちてきた黒い雪が、目の前にちらついて。
ゆっくりと顔をあげたが、泣いているきがして、
「――――ッ!」
彼女へ伸ばした筈の指先は、無機質な汽車の天井に伸ばされていて。
いつのまにか眠っていたことに、どうしてか安堵と焦燥を感じて、ちいさく涙が溢れた双眸に両手を当てた。
しばらくそのままで過ごしていたら、ブックマンがアレン君とラビから連絡があったと、伝えられて。
の名前が出ないことに、不安を抱きながらもわかったと取り繕った笑みを浮かべた。
ガタガタと揺れる汽車に合わせながら揺れる、深い藍を抱いた彼女の髪を見つめながらいくら時を過ごしただろう。
未だに目覚めない様子のはあれからもずっと眠り続けている。
おとぎ話の眠り姫のように美しいわけじゃなく、これではあまりにも機能を失った人形みたいだと。
悲しくて、の頬を指先でそっとなぞってみたけれどぬくもりの余韻が薄いことに、アレンは表情に影を落とした。
直後、個室のドアがノックされる音に気が付き開けてみればラビが少し苛立った様子で佇んでいる。
どうしたのだろうか、と小さく首を傾けて問いかけると気分転換にと、気車内の散歩を進めたクロウリーが戻らないという。
「かれこれ三時間も経ってるんだぞ…何かに巻き込まれたんかね」
「どうでしょうか…、アクマが潜んでる様子もありませんし」
「しゃーねーけど、探しに行くか」
「あ…は、い」
その時、ちらりとの様子を窺うアレンの目線にラビは気がつかないわけがなく。
嘆息の意を込めた溜息を小さく零したが、承諾した彼はクロウリー捜索に加担するみたいだったから。
そのまま彼がひどく気にする彼女に視線を向けることなく、身体を翻した。
俺までもたったひとつの異端に気をかけるまでもない、と。
だけど相反してから気を逸らそうとする度に悲鳴を上げる胸の奥を、煩わしいと。
ひそかに、眉を潜めた。
彼らが個室から出てしばらく時間が経ったころ、は静かに瞳を開いた。
ぼうっとしたままの意識は、ここがどこなのか判断するのに時間を要してしまい、ふるふると頭を左右に振る。
そして周りに誰も居ないことに気が付き、なぜ吸血鬼の城から汽車の中に移動しているのだろうかと状況を把握する為に身体を起こす。
暫く動いていなかったせいでふらついた脚を叱咤し、緩慢な動作ながらも歩み出して気車内をうろついてみる。
その間も、思考はアレン達を探すことより夢のような時間で見ていたあの情景を反芻させていて。
触れる前に途絶えてしまった真白い紙は恐らく―――
何両目かに差し掛かった途端、通路に座り込んでいる人々を見つけ不愉快そうにが目を細めてみて、気がついた。
よく見ればその人達こそ今自分が探していたアレン達であり、何故か知らない人までいる。
「………アレン、そこで何してるの」
小さく零した筈の言葉は、意外にもトランプに集中していただろう彼の意識をこちらへ向けさせた。
を視界に留めた彼はひどく驚いた様子で、両手に持っていたトランプが数枚滑り落ちている。
「…! 起きて大丈夫なんですかッ!?」
「…たぶん、」
「たぶんって…でも、ほんと――よかった」
そう、泣きだしそうな声で紡ぐものだからは胸中で驚きつつも、ごめんと俯く。
傾けた視線の先にラビとクロウリーも自分を見ている事に気が付き、大丈夫だと教えるように小さく笑えば二人も笑い返した。
だが三人以外に人がいることを忘れていて、視線の先に留まった黒い髪にパーマをかけた眼鏡の男が、自分を酷く凝視しているような不快感を覚え。
薄く双眸を伏せて、わずかな敵意を向けると快く思われていないことに気がついたのか、男は咄嗟に口を開いた。
「――っと、少年の連れかい?」
「そうですけど、今は関係ないでしょう」
「はは、厳しいね…ってまたやられたー!!」
殆ど身ぐるみを奪われている男が頭を抱えて叫んでいる様はひどく異様だが、タチの悪い博打では当たり前なのだとアレンがこっそり呟いてたことは気にしないでおくことにして。
こういった騒がしい場所は不慣れであるために、個室へ戻ると彼らに呟き身を翻すときでさえ。
あの、男がまるで俺のことを知っているかのように、執拗に見ていた為に微かな苛立ちと言い語れぬ危険のような感覚を覚え。
浮かんだ感情を押し殺すように、強く双眸を閉じながら息を吐きだした。
それがこれから降りかかる悲劇のはじまりとも知らないまま。
2009/3/7
やっとティッキー登場