痛みを分け合える、そうできる強さが欲しかった
43.せめて人間らしく誓いは手と手の、あいだ
静かな闇の中をどれほど駆けていただろう。
ラビ達と共に居た船に広がっていた、師匠が消えたこの暗闇に飛び込んでから行く宛ての無い道の中で。
ただ駆け抜けるの胸の中には様々な思いが浮かんでは、積み重なって崩れていた。
音もなく忍び寄る静かな時に。
『隊長〜、師匠がまたイジめてくるんだけど!何でウチばっか修行多いのかなぁ』
そう言って泣きついてくるへどういう慰めの言葉を送っていた?
『ね、隊長。 今度また近くの街に三人で出かけようよ、もちろんセンセには内緒で』
そう笑いかけてくると、どこへ行った?
今まで会った皆の言葉が突然脳裏に浮かんでくるというのに、その時の自分の記憶が思い出せない。
どうしてだろう、なぜ思い出せないんだろう。
今までにないくらい不安になる思いが胸に重く垂れ込めて、無意識のうちに眉を潜めて泣き出しそうになる心を叱咤する。
だめだ。
帰るんだろう、約束したじゃないか。
心まで折れてしまったら約束したことさえも、無碍にしてしまう。
だからせめてそのひとつだけは答えたくて。
そして帰ったら皆に謝って、
「―――帰るんだ…ッ」
気がついたら、場を突いていた言葉さえ震えていて。
走り続けていたせいで乱れている息も、それだけのせいでなく高ぶる感情が声を乱していて。
不意に零れ落ちそうになる何かを必死に抑えて、はその気持ちに抗うことなく声を張り上げていた。
「帰らなきゃいけないんだ俺は!」
そして、視界を覆っていた闇が晴れ、突然光が射し余りの眩しさに腕で顔を覆う。
段々と光が治まって、眩しさに慣れてきた目を開いて腕を静かに下ろせば、視界に飛び込んだ景色に驚愕を隠せず息を詰まらせた。
何故ならそこに広がっていたのはもう決して見ることはない筈の、この世界に落ちてから初めて見た街であったから。
記憶の中にあった、見るにも無残な姿で朽ち果てていた人々の屍と、何かによって葬られたAKUMA達の残骸。
そのすべてを隠してしまうかのように降りしきっていた雨も、己を染め上げていた禍々しい血の色も決して忘れることはなかった。
忘れてはいけなかった景色が、そこにはあった。
は突然現れたその景色に戸惑いを隠せず込み上げてくる恐怖に怯え、微かに震える手を握り締めて俯きかけた。
だが背後に感じた気配に、素早く顔を上げて身体を翻しイノセンスを発動させようと右手を振り被った時。
「―――ッ、な …!」
不意に素早く切り替わる視界の中、いつも在った筈のイノセンスがそこにはなくて。
あの重々しい鎖も、二つの銀色を眩く示していた指輪も、右手に埋まっていた核も。
見慣れていた筈のそれがないことに、言葉を無くし。
迫りくる気配に抗うことを忘れてしまっていた。
視界がぶれてしまう程強い衝撃が頭に響き、体制を整えようと痛みを堪え歯を食い縛りながら両足に力を込めたが。
先ほどとは違う方向から気配を感じ咄嗟に防ごうとするのに、生身の体では対応し切れず。
発砲音と共に鋭い、貫かれるような熱さを持った痛みがの身体の至るところへ裂傷を生む。
耐え切れず、ふらつく脚を抑えきれず肩で息をしながら地に膝をつけば、音もなく目の前を影が覆う。
視線を上げれば、瞳にひどく冷めた色を湛えたが、両手に漆黒の双銃を携え、不敵に笑っていた。
「言っただろ、メリルシアを返して貰うと。 それに、自分の体からイノセンスが無くなることをどこかで臨んでいたんじゃないか…?」
「―――何、を…ッ」
「元の世界に戻りたかったんだろう、何事もない平穏の時を取り戻したいが為にお前は仕方がなく戦う道を選んだ」
「……違う、」
「もう自分で戻れぬなら俺がお前を救ってやる。 あの頃のようにな」
「―――ッ」
確かに、力は欲しかった。
この世界で生き抜く為に、と、そして自分の身も守れるような力を求めていた。
だけどそれはただその場のしのぎでしかなかった筈なのに、いつの間にかイノセンスは自分の一部のように成っていて。
そしてそのイノセンスがあったから、アレンやリナリー、ラビや神田、コムイ達…黒の教団の皆と出会えたのも事実。
イノセンスがなかったら知ることのできなかった世界。
イノセンスがあったからこそ、互いに手を取り合うことの強さを知ることができた世界。
彼等はなくしてはならない世界の一部になっているのを、いつしか掛け替えのないものと改めてこの思いは心に留めていた。
だからこそ此処まで自分たちのためだけでなく、隣にいるエクソシストの皆を護りたいという想いを貫きたくて。
生まれて初めて誰かの為にこの、禍々しくも恐ろしくも、それでも支えになってるこのイノセンスという力を失いたくないと思っていて。
彼らと共に居るために必要なイノセンス――メリルシアは、の想い。そのものであった。
だから。
「俺は…確かに怖いさ、師匠」
イノセンスを失って、ただ平凡な人間の体と成ってしまったからは途切れることなく血が滴り落ちていて。
雨が降り続けている為に、肌を打つ滴が傷に染みて痛かった。
だが久し振りに身体に戻った感覚に、はどうしてか嬉しく思え自然と、力を無くし絶望的な状況にあるのに。
笑っていた。
「何でこんな世界にいなくちゃならないとか、得体の知れないイノセンスを疎ましく思ってた。
だけど…たとえ元々俺のモノじゃないとしても、メリルシアが無いと今の俺じゃないんだよ」
そして、こういう時に限って楽しかった時を思い出すんだよ。 なぁ、かみさま?
『……、食堂で寝るな。 風邪ひいても知らないぞ』
『ぇー…だって歩くのしんど…』
『そんなに寝るの好きなら朝まで置いとこっか隊長』
『…それはさすがに俺でも賛成しかねる…』
『あれ…皆ご飯食べ終わっちゃったんですか?』
『おー、アレン。 悪いけど先に食事取った』
地に着けたままの膝を立たせ、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり。
『残念だなぁ、僕も達と一緒がよかったんだけど』
『せっかくだからリナリーも誘ったんだけど、彼女忙しそうだったから。 仕方がないな』
『また今度皆で会えばいいだけですよ、同じホームにいる仲間なんですから』
『アレンが言うとくさくないから不思議だよね』
『えっ、何のことですか…?』
『何でも無いよー、ね! 隊長ッ』
『あー……何が?』
『…二人って似た者同士っていうか…… ぐー』
(…それは寝言…?)
一瞬、揺らいでいた筈の双眸に既に迷いはなく、強い意志がはっきりと輝いていて。
『……まぁ、俺らも暇だしアレンに付き合うか』
『そんな悪いですよ! 遅れちゃった僕に非があるわけですし』
『気にしないで。 起こすのもかわいそうだから、それにまだ居るつもりだったの』
『そういうこと、皆でいたほうが楽しいだろ』
『…、ありがとう』
『お礼を言われる訳がわからないけど…ま、どういたしまして』
いつにもなく、の瞳には今まで見たことが無いほどに純粋な紫が瞬いていた。
そして武器もないというのに、両手を構えると腰を落とし、前触れも無く右足を振り被るとに容赦なく蹴りかかる。
まさかイノセンスという彼女にとって最大の武器を奪ったというのに、勝算も見いだせるか定かではないのに。
己の実力も知っている筈なのに、はまだ戦う意志を失っていないことに、彼は静かに口を閉ざし。
彼女の蹴りを左腕で防ぎ、間を取る様に後方へ飛び退くと、彼はイノセンスである漆黒銃を構えて、照準を定め。
も、怖じけることなく、再び構えを取った。
「だから返して貰います、イノセンス」
「……馬鹿だな、自ら此の世界に飛び込むのか」
「約束がある限り"今は"死なないから。 そして師匠、あなたも何故変わったのかわからないが…止めてみせる」
二人を覆う雨が、一層強く降り始めた頃の話だ
2009/6/10
やけにあっさりとヒロインさん決意、それだけ失いたくない思い出
前々から、変わり始めていたのもきっかけです