お か え り な さ い
44.絶たれた傘下の望みを知れ
降りしきる雨の音は止まない。
互いに間合いを取ったまま、睨み合うように構えていた。
だが僅かにの照準が動いた瞬間を見逃す筈なく、は素早く身を屈めるとそのまま地を蹴る。
銃声と同じくして頬を掠った痛みが走るが、速度を落とすことなくの懐に入り込むと拳を正面から叩き込んだ。
もちろん簡単に当たるわけがなく、の拳を左腕で防ぐと空いた右手で彼女の心臓目がけ銃を構えたが。
対するも想定通りだったのか、彼の腕を掴むと捻り上げて腹に蹴りを一発入れる。
思ったよりも重いその一撃に、彼は微かに顔をしかめたが直ぐ笑みを湛えると、突然双銃は光の粒子と化して空気に溶けた。
武器を消したことに驚き、は良からぬ予感を覚えすばやく後ろへ飛び退こうとしたが。
伸びてきた彼の手が、彼女の首を掴みあげそのまま地に叩き付けられる。
視界の端に、跳ねた水が見えた。
「―――つぁ、ッ!」
「そういえば、あのことに教えてなかったな」
いきなり話しかけてくる彼に疑問を感じたが、首を絞める手の力は優しく語る口とは相反して殺意さえ籠っている。
「……――こ、のッやろ!」
呼吸することが困難になり、息苦しさの余り歯を食い縛りつつも喉元を押さえつける彼の左腕、関節に値する肘へ外側から拳を叩き込めば。
「ぐッ、!?」
正しく曲がる筈の方向から真逆の強い衝撃を与えられれば、かなりの痛みを伴うもので。
みしりと関節が軋む音と同時に、思わぬ反撃の痛みに眉をひそめたの手の力を弱まった時を狙い。
両足を持ち上げ身体を起こす反動を込めて彼の鳩尾辺りを蹴り上げると同時に、両手は地につけ支えとして飛び上る。
は小さく咳き込み、僅かに口の端から流れた血を拭った手をみて、彼は悪寒さえ抱かせるには十分な頬笑みを浮かべて、笑い出した。
「ふッ…はは! イノセンスも無いのに俺を押すとは、少し成長したか?」
「そりゃあ…、ッどう も」
嬉しくないけど、と苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を浮かべながらも首元を僅かに摩る。
まだ少し痛みを帯びているし、空気を取り込めなかった器官が驚いてしまったのか声が荒い。
はそんなの様子を眺めながら、口の端の血を嘗めると右手を掲げた。
そこには、鈍く光りを帯びるイノセンス――忘れるわけがない、メリルシアが存在していて。
は少し息を詰まらせると、静かに応戦できるよう構えを取り警戒に勤める。
だが彼はそこから動こうともせずに、右手を静かに握り締めると穏やかに笑った。
「さっきの続きだ。 、お前はメリルシアを"正しく"発動できていなかった」
「……何、言って」
「そのままの意味だ、メリルシアそのものの本質を見出せてさえいない」
「昔教えてくれたのは嘘だったと…!」
「いいや、武器としての扱いは間違っていない」
「だったら、どういう意味でッ!」
わけがわからない、と。
悲鳴に近い叫びを堪えたくとも、治まることのない怒りにも似た沸騰する心を押さえ付けようと。
強く握り締めたはずの手の感覚は、あまりにも朧げで思考が錯乱状態に陥りそうになる。
一瞬その困惑が痛みを帯びた気がして、頭を片手で押えたその時、指の隙間から覗いた灰色の景色に目を見開いた。
彼の手に宿るメリルシアが青白い光の輪を帯びた後、雨の音の間を縫って聞こえたのは小さなピアノの旋律。
聞き覚えのあるようで、それでもどこか知らないこの安息の予感。
心の奥底から何かを呼び起こすような、それでいて世界に宿る光の面影を模ったやさしさの影。
あまりにも、暖か過ぎ何処か怖い音が思考に響くと同時に、記憶が一瞬揺さぶられる。
それと同時に酷く重い闇が目の前を過った気がして、後に訪れたのは。
「――――っ、」
そ して ぼうや、は
「な、 んだ 俺は知ら、 な」
ねむりに
" ……マナ、? "
つい た
「――――誰、だ…」
溢れ出る涙の理由を知っているか、
「ッ俺の中に入ってくるなぁあああああ!!!」
その記憶のもとになる者を覚えているか、主よ
「メリルシアに惑わされるな、それはただ残された誰かの思念。 ―――お前の自我が眠るのはまだ早いぞ」
そしてメリルシアの使い方を今一度教えてやる
2009/6/13
誰かとつながっている記憶、誰かを失う白い剥離