なつかしいね、まだであったばかりのはなしだ











48.『剥離して逝く咲き出すこころ』


















『そういえば…


『ん…? 何』


ガタガタと揺れる旅芸人の馬車の荷台、端に座り込んで外をぼうっと眺めていたアレンが唐突に問いかけてきた。

後ろではが小さな寝息を立てて、うつらうつらと揺れに合わせて首を揺らしている。

その様子を横目で見つつも、彼へと視線を戻す


『女性に対しては失礼なこと聞きますけど…幾つなんですか?』

『……俺を女性だとは思わなくても別にいいけど、確か18』

『じゅ…! 僕よりも3つも上ですよ!』

『歳なんて関係ないだろう』

『そうですけど、やっぱり気になっちゃうじゃないですか』

『そういうもんか?』

『そういうもんです』


アレンの話を聞きながらも、どこか遠くを見つめたまま手に持っていたパンを少し齧る。

そんなの様子を見ながらも、そのころはただ彼女は少し他人に対しての反応が薄いと思ってた。

だけどそれは大きな勘違いで。


『まぁ、でもある意味アレンは俺たちの先輩だよ』


彼女は、いつも肝心な部分を隠して話す。

本音を誤魔化して、相手を気遣って余計な不安や疑心を与えぬように。

差し支えのない当たり障りのない、相手を傷つけないように"静かな"という表情のオブラートに包んで。

それでもはずっと相手を見ていたのだ。











とうとつに、に会いたいと思った。

ふわふわとした現実味のない世界で目が覚めて、どうして僕はこんなところにいるんだろうと考える前に。

突然脳裏に浮かんだのは出会ったばかりのの記憶。

夜に浮かぶ月がやけに大きくて、妙な不安ばかりがちらつく視界にはふわりと雪が舞い落ちてくる。

あまりにしずかなこの世界は、もしかして僕は死後の世界に来てしまったのだろうかと。

沸々と湧き起こる不安が、ちいさく泣いて。

白い月を見上げていたけれど、不意に下に広がる湖面に目を落としてみれば映っている月は黒い。

なぜだろう。


ふらふらとその水際に歩み寄って、覗きこめば。

深い夜に廃墟が広がっていて、ひと際高く聳えた瓦礫の上にリナリーが座り込んでいた。

ひどく、悲しそうに泣いて必死に涙を拭っている彼女の姿を見て、どうしてと。

そして少し離れた後ろに佇んでいるは、そんな彼女の背を眺めながら、目を伏せた。

余りに異様な光景に、しばらく目を離せなかったがアレンはひとつ気がつく。

リナリーを見守るように佇んでいるの身体からは、夥しい量の血が流れ、蒼白に染まった顔。

何かを堪えるようにして固く結んでいる口の端から、血が滴り落ちている。




『……、ッ』




満身創痍な姿に、いつも彼女はひとり抱え込んで、誰にもその内を明かさない性格を思い出して。

またひとりで行ってしまうのか、という怖さが一気に胸を締め付けて気がつけば水面に手を伸ばす。

しかし、




"  ダ、メ  "


『―――…ッ』



突然現れた手に、のばした左手を掴まれると同時に水面が凍る。

視界を覆うように彼女たちを隠してしまうように。



ッ、リナリー!』




口元を歪に歪めたソレを見た瞬間、意識が途切れた。
















どうしてだろう。

目が覚めたとき、自分を包む暖かい布団の感覚。

僕が眠っていたベッドにうつ伏せて眠る見知らぬ少女の立てる、かすかな呼吸音。

どれもが確かに現実のものであるというのに、どうしてか本当に僕が感じているものなのか。

わからない。

誰かによって手当てされた、包帯でキツク巻かれた痛々しい己の状態。

まだ僅かに残る痛みの感覚が唯一、生きている現実を教えてくれている。

なのに。

静かに視線を落とした先にあるこの右手は、震えていた。

失った左腕を憂いている心の影響なのか、それとも僕が救えなかったひとつの命を嘆く痛みか。

どれが理由なのか定かではないままにアレンの感情は酷く、脆くなっていた。



「―――…う…ッ」



彼の口から零れる嗚咽さえも、確かに何かが崩れた名残だった。












そして、彼は晴れぬ心を抱えたまま地理さえも解らないこの場所を彷徨う。

何処へいきたいのかなんてない。

何が今するべきなのか、それさえもわからない。

だが歩みを止めることは彼にとって迎えた筈の『死』を痛烈に知らしめるものだったから。

アレンは立ち止まれなかった。

マナとの、約束を糧にしてきたからこそ少年は歩むことしか出来なかった。

ふらふらとした定まらない、弱ったままの意志と体は酷く不安を煽らせるもので。

今、アレンの表情を見た者は少なからず、彼を止めるだろう。

其れほどまでに衰弱しきった彼が向かった先に待ち構えていたのは、大きく立ちはだかる一つの扉だった。

静かに、あてもなく彷徨うアレンの右手が扉に触れようとした時だ。



「その扉は押しても開かんぞ」



唐突に聴こえた声の主は、アレンを見守るようにしてただ座っている。

しかしその声はやけに穏やかで、決してアレンを咎める意味も攻め立てる意味も込められていない純粋な声色。

彼に声をかけた男性――アジア支部長バク・チャンは、静かに、こんな場所に何か用があるのかと。

左腕さえ失いイノセンスの形を失ったアレン・ウォーカーへただ問いかけた。


「別に、ただ進んできただけだから……」


そして今度はアレンが問う。

この先へ進む扉は開けられないのかと。

立ち止まりたくないと、彼は確かに泣いていた。

心の奥が悲鳴を上げている、忘れていた恐怖の寒さが己を凍えさせる。

しかし、今イノセンスという力を失ったアレンを支えるものは、形の無い想い。


「僕は、僕の意志で誓いを立てた…ッ」




頭の中を駆け巡る記憶は、どうしてか酷く鮮明で。



「共に戦うことを仲間に―――」



艶やか過ぎる仲間達の感情。



「死ぬまで歩き続けることを父に、誓ったんだ!!」





そして、




の、傍にいるって……ッ」



だから泣かないで、と。

人一倍、誰かに頼ることが苦手なたったひとりの女の子を、ひとりになんかさせないと誓っていたのは。

ひとりにさせたくない、なんかじゃなくて"僕が"ひとりになりたくないからかもしれないと。


離れ行くたびに感じていた寂しさは、この心だったのかもしれない。

だけど、まだ縋ってもいいのなら。

こんなにも惨めでもいいのなら。




「僕が生きていられるのはこの道だけなんだ…ッ」




弱弱しく紡がれた筈の言葉は、静かなこの場所に爪痕を立てる。

想いの残照、荒々しくも確かで同時に脆い戦場に生きる少年の、淡い理想にも似た夢。

しかしバクの心には響いていた。

細く息を零し、アレンの近くに寄るとこの空気を壊さぬように。

彼の辿る道を示す。




「わかったよアレン・ウォーカー。

―――キミのイノセンスは死んではいない、それを告げる前にどうしてもキミの気持ちを確かめておきたかった」





だが彼はそこまで紡ぐと、突然その真摯な瞳に微かな迷いと影を生み、閉口した。

急変した彼の様子に、アレンは僅かな困惑を見せ眉を潜めてみせれば。

バクは、重い口よりぽつりと呟いた。






「そして、キミに会わせなければいけない人がいる」






その言葉を聴いたアレンは少し、思考を止めてしまう。

今、日本という地に向かい行方不明とされている師匠を追う僕の部隊は既に先を進んでいる筈。

だからこのアジア支部に昔より知る人なんて居るわけがなく、バクが言う会わせなければいけない人というのは、誰なのか。

釈然としないままにアレンを見つけ助けてくれたというこのアジア支部の番人であるフォーという少女。

そして手当てをしてくれたというウォンと名乗った男性と共に。

本部よりも広いというこの地を案内して貰いつつも、ふと頭を過ぎったのはの姿。

何故急に思い出したのかわからない。

だけど確かに彼女と出会ってから離れる度、すれ違う度に悲しくなるし、そのつど彼女の背を眺めてしまう節がある。

いつの間にか僕の心の中に居座っている感情と彼女は一緒に在った。

マナのように、でもマナとは違う大切さ。



僕は、



船でAKUMAに捕まってしまってから逸れ、それ以来聴いてないの静かな声を心が欲しがっている。

痛むような、それでいて柔らかな焦燥が胸の奥を焦がす。

初めから気づいていればすれ違う前からこんなにも募ることはなかったのかもしれない。

確かに、僕はを。





「おしゃべりは止めにして入りたまえ」





突然、でも時間は過ぎていて当たり前なのに一瞬だけアレンの思考だけが止まっていたようで。

彼の耳に聞こえたバクの声に僅かながら驚いたような表情を浮かべたアレンを見て、バクも怪訝に思ったのか小さく眉を潜めたが直ぐに振り返り、部屋の中へ促す。

そうして彼らが入った視界の先には、白い霧のようなものが広がった大きな部屋。

不思議と懐かしさも感じるようなその霧を眺めながら、アレンは僅かに顔を上げて声を零した。



「煙…じゃない、何ですかこれ…?」


「これがキミの左腕だったイノセンスだよ」


「えっ…」


「形を無くし粒子化している。

だが通常なら粒子になるまで破壊されればイノセンスであっても消滅する筈が、
キミのイノセンスは消滅せず今もなお神の結晶として力を失わずにいるんだ」



バクの告げる言葉を肯定するかのように、隣に佇んでいたフォーが腕を組み直し口を開く。



「"お前ら"を竹林から運ぶときにもこの霧がお前らを守るみたいに周囲に満ちてたぜ」


「こんな状態になっても……、? 待ってください、今"お前ら"って…」



確かにフォーは"お前ら"と言った。

しかし此処に運ばれたのは僕だけということしか聞いていないのに、彼女は僕の他にも誰かを助けたという言い方をしたのだ。

イノセンスは僕と一体化しているような存在であるから数に数えないのは解りきっている。

アレンは唐突に、その時この部屋に案内される前にバクに言われたことを思い出した。

キミに会わせなければいけない人、という言葉を。

唖然とした表情を浮かべているアレンを見て、フォーは彼が知らなかったことに気がついていなかったようで。

既にもう伝えてあると思っていたフォーは咎めるような視線でバクを睨み付け、怒鳴りだす。



「おいバク、てめぇまだ言ってなかったのかよ!」


「つ、伝えるにもあの状況では酷であった為にボクは言い留まってしまったんだ…!仕方が無いだろう!」


「どっちにしろウォーカーにとって辛い事には変わりないだろうが!この馬鹿バク!」



だが対するバクも、少しフォーの勢いに押され尻込みしてしまっていたが、何故かあの時のようにその双眸には迷いと影が。

それは明らかな表情の変化である為に、アレンは何故か言い語りようのない不安を感じて。

意識してはいなかったというのに、彼らに問いかける為の声が。

震えていた。



「……誰の、ことなんですか…?」



消え入りそうな、完全にイノセンスを失っていなかったという喜びでさえもすっかりと隠されてしまった少年の声。

その場で喧嘩まがいの口論を広げていた二人も、少し離れた場所で佇んでいたウォンでさえも、アレンに問いかけられた刹那口を閉ざした。

僅かな沈黙、微かに視線を逸らしていたバクが意を決したかのように。

それでもまだ迷いを消せないままに、アレンへと向き直った。



「実は、フォーの言う通り保護したのはキミだけではない。 
 
 我々もできる限りの最善は尽くした…だが、粒子さえも残ってない失われたイノセンスでさえどうしようもなかったのだ」


「ずっと、一人でこの部屋から離れようとしねぇんだよ。 行ってやれ、ウォーカー」



フォーの視線に促されるように、前に佇んでいたバクの隣を通り過ぎて深い霧のように視界を阻む僕のイノセンスが。

今だけは何故か僕に何かを訴えかけているようで、僅かながらも焦燥と苛立ちを覚えかけた矢先。

広いこの部屋の端に位置する壁が見え始めた頃、誰かが其処に座り込んでいるのを見つける。

ぼんやりとした視界の中で、やけに映える白いワンピースと、いたる所に巻かれているのか包帯の色がまぶしいくらいで。

静かに、その影である人物の顔を見たとき、




「―――どう、して…ッ」




なんでここにいるんだろうとか。

そんなことよりも、彼女であることを認めることに意識が急いているような。

突然胸の奥に沸き起こる感情の名前も思い出す前に、アレンは駆け出してその少女の名を叫んで。






ッ!」






包帯でキツく巻かれた右手の自由が利かない事がもどかしいくらい心に喜びが満ちて、きっと今の僕の顔は笑みでさえも混ざっているはず。

それほど感情が高揚してしまっているというのに、唯一自由の利く手首辺りでを驚かせないように肩をひく。




しかし、この静かな部屋ではうるさいくらいに響いた筈の声に彼女は反応しない。

寧ろ、僕が目の前に居たって何も語って来ない。

段々と今の状況を飲み込むように、静けさが肌から沁みて悲しい程に胸に溜まってゆく。

少しずつ醒めていく僕の喜びとは裏腹に、ただ真っ直ぐと向けられたの綺麗な薄紫の瞳が僕を射抜いている。

僕が見えていないかのように、僕がいることさえわからないかのように、僕を。知らないかのように。




「……どうしたんですか? いつもみたいに」




"…アレン?どうした"



あの、少し苦笑じみた控えめでもきれいな色が脳裏に浮かんでしまう




「……―――僕を、呼んで…ッ」






どうして今僕の両手がないんだろうって、

醜くても確かに在ったあの左手さえあれば今僕を見てくれないを抱き締めてあげることだって

手を引いて、導いて、何かあったなら助けてあげられるのに


こういう時に限って僕はいつだって


カタカタと震え出す身体の寒さは誰よりも知っている

これは、大切な人を失ってしまった"あの時"と同じ痛くて苦しくて純白いほど沁みてくる孤独

また、僕は






…!」








少年の慟哭は、空虚な少女には暗闇にしかならなかった




11/10/24



ささやくいのちのこえ