嘗てのわたしを知る者たちへ、"私"を模ったこの身が――
45.アイを射抜き溶き、咲きだしたソラへ
自分が理解できぬほどの、膨大な誰かの過去が押し寄せて。
誰の声かわからない数多の叫びが聞こえる。
あまりにも、歪に混じり合いすぎた大勢の褪せた頃はそれぞれが個々に強すぎて。
自分が、誰だか。
自分は、エクソシストとしていたは。
とと、共に過ごしたは?
と名乗っていたは――― どれだ、?
「い、やだ…ッ俺…!」
もう、今までのを忘れてしまったかのように頭を抱え、ただ瞳を涙に滲ませた少女が其処に在った。
としての振る舞い方を失って、エクソシストというの強さを見失い、一人の人間のとしての感情を置き去りにした。
其処には恐怖に怯え、声も心もすべてを震わせ己を必死に持とうとする誰かが居る。
はそんな様子を見ていて、自らがこう仕向けたというのに。
彼の様子などは全く気がつかないのを知っていてか。
は、酷く何かを必死に堪えるように口元をきつく結んで、その瞳は揺らいでいた。
(こう、しなければは―――既にもう)
閉口することで己の心を隠してきた。
(どうしてあの時、俺はこの児に宿してしまったのだ)
師として、教えられることは教えてきたつもりであった。
一年間。
たったそれだけの短い時だったが、彼女たちは俺を驚かせるほど、呑みこみが早くて。
元いた世界に"三人"で帰りたいという絆があったからだろうか。
力を求めることを厭わなかったその心は、メリルシアをすんなりと受け入れてしまい、今や神の結晶と謳われたイノセンスに支配されかかっている。
その事に気がつかないまま、メリルシアの支配を無意識のうちに心に宿してしまっていたはすでに異変が訪れているはず。
拒絶反応や、身体の異常、痛覚を無くし次第に感情を忘れ―――最後、は。
ぱしゃん、と。
水が撥ねる音と共に思案に暮れていたの視界は突然晴れ、彼の瞳に映ったのは。
今まで、見たことがないほど小さく、幼い子のようにただ泣き崩れている。
強いと思っていたその意思は(ただつよがってこわがりなところをみられたくなかっただけで)、
穏やかでも優しいと思えていたその眼は(おびえたこころをいつもうったえていて)、
華奢でいても、立ち向かうことの勇気を抱えていたと思ってたその身体は(ほんとうは、たよりなかった)、
ただの、少女であったことをいまさら教えられた気がして。
「――――ッ!!」
は叫んでいた。
唐突に、それでも今まで抑え込んでいた何かを吐き出すように。
自分の眼尻に溜まった滴が駆け出すと同時に宙に舞うのも、気がつかないまま。
のちいさな姿が思考に焼きついた瞬間、彼の"師匠"としての心はどこにか隠れてしまい。
ただ、この状況に陥らせてしまったのも自分であることを忘れて、無意識のままに地面に崩れてしまった彼女を、強く抱いた。
「う、ッ……ふぇ…」
「ッすまない…本当にすまない! 俺は、あの時―――ッ」
おまえを
彼は、必死に泣きじゃくるを宥めるように。
そして同時に、己の過去の過ちを嘆くように今まで見たことがないほどに、悲痛な。
自覚していなくとも、確かに泣いている顔を見られたくなくて、自分が咎に落としてしまった彼女の顔を見ていられなくなって。
優しく、穏やかにそれでも強く。
右手での頭を抱え、左腕を彼女の背に回し、己の腕に収め。
の首筋に自分の顔をうずめて、振り続ける雨と共に滴り落ちる自分の涙に。
戸惑いを隠せないまま、は彼女が少し落ち着いてきたことを確認して。
怖がらせないように、静かに言葉を紡ぎ出す。
「メリルシアは、俺のイノセンスであることは確かだ。だが、時期が迫っていた…
期限があるんだ、ある一定の人間に宿っていられるリミットというものが。
それを超えてしまえばその宿り主であるエクソシストは、メリルシアに記憶と心と身体を蝕まれ、いずれ死ぬ。
俺は、お前と出会ったあの街で俺の時を終える筈だった―――…だがッ」
「お話はそこまでにしましょうカv」
静かに、雨音との声だけが響いている其処に、誰かの声が割り入った。
途端、その場にとても言葉では語りにくい、穏やかでも確かな負の感情が渦巻いているような気味の悪い空気が漂っていて。
は背に聞こえた声に、酷く驚いているようでゆるりと振り返るその双眸は見開かれていて。
僅かにまだ、混乱から抜け出せていないはひどく潤んだ視界のまま、ぼうっと彼を眺めていた。
二人の後方に佇んでいたのは、大きな体と顔にはいびつな笑みを湛えた口元、そしてシルクハットを被った異様な雰囲気を持つ。
とても、ヒトとは思えぬ風貌の姿を持つモノが居た。
それはにこりと笑った後、雨をしのぐ為か掲げていた先端にカボチャの飾りが着いた傘を丁寧に下げてぺこりと礼をした。
「ハジメマシテv 早速ですガ、そろそろとメリルシアを"こちら側"へ渡して頂けますカ?v」
その者の言葉が途切れた瞬間、はを背に隠すと片膝を立てると同時に双銃を両手に掲げ。
先ほどまでへ向けていた穏やかさなど微塵にも感じられない。
憎悪、そして警戒心しか持たない鋭利な瞳を細めた。
「伯爵、お前らとの"契約"はとうの昔に破棄された筈だが」
「おヤ? そうでしたっケv」
「忘れたとは言わせない、楽譜と方舟の在り方を」
「そういえばそうでしたネ…ですガ、我々も黙ってアナタを飼っていたわけではナイ」
「飼って、いただと…?」
沸々と、彼の背から伝わってくるその重苦しい感情。
それが今まで知っている彼に関する記憶から全く想像のつかないほど、激しいものであるために。
ただ、傍観していた状態だったは段々と鮮明になってくる意識の中。
が今立ち向かおうとしている者が、エクソシスト達全員の敵の根源である伯爵であると認めると。
無意識のうちに彼の腕を掴んで、いた。
「し、しょ…駄目だッ 俺も、」
「、すまないが…話は一度辞めざるを得ない」
「どうし、てッ…!」
「仕方がないことなんだ、お前を護る為でも」
あるんだから、そう聞こえた直後だった。
彼の背中を見つめていたのだから、銀色しか見えなかったのに。
不意に振り向いたの暮れる夕日にも似た暖かな緋色が見えたのに意識を取られ、彼が銃を掲げたままの右腕を伸ばすのに気がつかず。
静かにの後頭部へ回されたそれが彼のもとへ引き寄せられると、微かに。
雨で冷たく冷えていた額に、柔らかな温もりが震えたまま触れる。
一瞬、何が起こったのかわからないと困惑したままのを見つめると、彼は小さく笑んで。
「また、会う時な」
静かな声が、最後に聞こえた彼の心。
とんっ、と。
軽やかに押されたはずの身体は、そこに在る筈の地面への身体がすり抜けてしまったかのように触れる寸前薄れて。
視界がノイズに侵される寸前、見えたのは。
一年前以上に、見れなくなった筈の師匠の笑みだった。
「――――……師匠ぉ、ッ!」
そして、完全に途切れてしまった。
2009/7/13
手を伸ばした矢先に薄れたその心をしるために、